
つい先日、前の恋人と再会した。
彼と付き合った期間はかなり短かったけれど、大好きだった。ただ別れ方がまずくて、そのせいで付き合っていた頃のことを思い出すと、苦い思いがぶわっと胸に広がるほどだった。
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会社員時代、夏休みを使って彼に会いにドイツに遊びにきて5日間過ごした後、最後の最後で振られた。
「やっぱり僕らは合わないと思う。遠距離も辛すぎる。」
彼に気持ちがなくなったのなら、それ以上わたしにはどうしようもない。
『言い返してもみじめなだけだよ。もう彼の心には届かないし無駄だよ』わたしは理性の声を受け入れた。
「わかった…ドイツいっぱい案内してくれてありがとう」これだけ絞り出すと、私たちの鼻の先で、電車のドアが閉まった。
帰る道すがら、電車でも飛行機でも空港でも号泣、母が迎えに来てくれた空港から家までも号泣。
(フランクフルトでの税関のおじちゃん、CAさんたち、何も聞かずに送り出してくれてありがとう!笑)
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それからというもの、大好きだった彼との思い出は全部苦いものとなり、一緒に行った場所、聴いた音楽、観た映画etc…が目に入ると、気分は落ちる一方だった。(自分でも徹底していると思う。笑)
もちろん、SNSやニュースで目に入るドイツ関連の様々なことも例外ではない。
そのうち、そんな自分も嫌になってきた。
「いやいや、友達もいるし、彼のせいでドイツ嫌いになってたまるか」という謎の反骨精神と、
「いっそ住んだら好きになれるんじゃないか?」というわずかな希望、
そしてその他もろもろの条件を加味して、
ヨーロッパに住んでみたいという漠然とした夢をドイツで叶えることにしたのだった。
彼とドイツ旅行したのは一昨年の話、ライプツィヒで過ごしたのは1日だけ。
それでも去年9月にライプツィヒに着いてからというもの、彼と行った場所に出くわすと
パズルのように断片的にある記憶が呼び覚まされて
「ここ知ってる……」という苦い思いを味わうという。
わたしは、彼のことを意地でも嫌いでいたいらしかった。
それでも彼は能天気なもので「ドイツに来たんだね、また会えたらいいな」とメッセージしてくることがあった。
大人の対応…というのは結局できなくて、「よく普通にメッセージ送れるよね。わたしがどれだけ立ち直るのに時間かかったと思ってるの?」
と拒否反応まるだし、彼もタジタジ。でもこれが本心で、言ったことに対してはみじんの後悔もなかった。
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心境の変化があったのは、去年のクリスマス前のこと。
彼と訪れた古城を、旅行へ来ていた家族と再び見に行った。そこで懐かしさを感じた。
そこは、彼が車を出してくれて、迷いながらもわたしが行きたいと言った所へたくさん連れて行ってくれた中の1つだった。ふと元気にしているだろうかと思い立ち、メッセージしてみた。
「君からメッセージもらえるなんて!元気そうでよかった」
相変わらず穏やかな返事。
あるときまた、メッセージが届いた。わたしと共通の友人に、ライプツィヒへ会いに来る計画を立てているのだと。
どうしようと思ったけど、ここは、仲直りのチャンスではないか…
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そしてついに彼が遠い街からやってきて、友達のフラットに集まることになった。わたしは故意のような、そうでないような30分の遅刻。
彼は思ったより変わっていなかった。
垂れ下がった目が、青や緑やグレーに見えること。
栗色の天然パーマ、丸くて短い爪、穏やかな声。
変わっていたのはメガネとお団子にくくった髪の毛が長くなっていたことくらい。
「また会えてよかった!嬉しいよ!」
彼は何回も言った。
「そうだね、わたしも。」
1年半抱えていたもやもやが、消えていくのを感じた。
はてあの気持ちは、何だったんだろう?
あまりに好きだった彼から突然振られてしまった悲しさを、どうしても昇華しきれずこじらせてしまったらしい。
当時のわたしたちには、手立てがないことは明白だった。
まだわたしがドイツへワーホリにくる予定も何もなく、彼にも大学がある。日本学の専攻ならまだしも、全く関係のない学科で、日本に留学に来る予定もない。
彼もわたしと合わないと思ったことだし、いずれ別れる運命だったなら、あの時直接別れを告げてくれた彼を責めることができないのは知っていた。
わたしが彼を振ればわたしが悪者だっただろうことも。
でも別れはわたしにとってあまりにもショックで
聞いてくれる人がいると見れば進んで話し、同情を得るのが定番だった。
こう文章にすると性格悪いなあ……(笑)
物事には表と裏がある。そして恋愛は、(数少ない経験から言いますが)当事者にしかわからない文脈で成り立っているところがある。
わたし達は短い期間であれど、お互いに尊敬していて、好きで、大事に思っていて、真剣だった。
でもわたしの言いようで、彼を知らない人には、どうとでも伝えることができる。わたしは可哀想でいたかったのだろうし、あんな風に突然わたしを振った彼を嫌いでいたかった。
しばらく話していると、わたしが誰にも話すことなくしまっておいた思い出を、彼がぽろっと言った。
ふと、ああこれで良かったんだなと思った。
2人の形は恋人から友達に変わったけれど、
お互いその時に戻れるような思い出をどこか頭の片隅で抱えながら、どんどん進んでいく。
苦い思い出として胸の奥底に放り込んでいた諸々は、ようやく懐かしい思い出に振り分けられた。
その日は帰ってそのまま眠ってしまい
次の日、何だか涙が出た。
思い出を苦しいものだと縛っていたのは自分。
人を許すように見えて、実は解放されたのも自分。
人や物事を嫌いでいるには、思いもよらないエネルギーを使う。つっかえがなくなったことで、身が軽くなったのを感じた。
大好きな映画、『アメリ』で主人公アメリがふと人生の突破口をみつけるシーンがある。

『彼女は深く息をした。人生はシンプル、明快だ。』
まさにこんな気持ちだった。
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こんな感じで、亀のような歩みで進歩しています。
なんのこっちゃない小娘の下手な恋愛話でしたが、実はこのためにドイツにきたのではないかというくらい、
わたしの中で大きな出来事でした。
時間はかかったけれどちゃんと消化して、自分のエゴに反省しているところです。
文章にして、思い出として気持ちの整理をして、昇華できたのでよしとします!もう終わり、ありがとう!
皆さんも、ここまで読んでいただきありがとうございました。
素敵なツイートを見つけたので、貼っておきます!
失恋した人を励ますのに「もっと良い人がいるよ」と優しい気持ちで言うことがあると思うんだけど、多分響かない 直近の相手が最高に決まっているので 友達に言われて1番救われたのは「彼からもらえるもの全てがもうあなたの中にあるよ」という言葉 相手が自分の中にいるからお別れしても大丈夫
— 佐々木ののか@尾道3/22-24 (@sasakinonoka) 2017年12月8日