わたしが考えるハッピーなフェミニズム

カテゴリー 未分類

最近、フェミニストやフェミニズムがどうとかこうとか、ネットやSNSではいろんな意見が見えるようになってきた。

日本でも、ハリポタの女優エマ・ワトソンが男女平等を訴えて国連でスピーチをする様子なんかはニュースで流れていたし、フェミニズムはうっすら知られてきているものの、まだまだよく分からず興味がない人が多いように思う。

そんな日本の2018年のジェンダーギャップ指数は、調査された149カ国のうち110位。驚異の低さだ。先進国の中でもダントツに男女格差が大きい国である。

 

突然だが、わたしはどうやら自分が『フェミニスト』であるらしいと自覚したのは、ドイツに行ってからのことだった。

 

フェミニストが桁違いに多いヨーロッパの環境に浸かったからだろうか?それは多分違う。なぜなら2013年に交換留学でイギリスに行ったとき、わたしはまだまだフェミニストではなかった(芽は出てたかもしれない)。

 

当時わたしが抱いていたフェミニストのイメージといえば、『過激派』だ。社会で男性と同じ権利を訴え、デモをする。デモってなんか暴動っぽくて危なそうだ。

それにフェミニストって男を恨んでいて、恋なんてもってのほかで、人生楽しんでなさそう。近寄らないほうが得みたいな、扱いにくいような、そんな感じ。

 

 

でも結論から言うと、フェミニズムはハッピーなのだ

正直にいうと、わたしは男性と同じ権利を求めることにあまり興味がない。それでフェミニスト?と言われるかもしれないが、わたしの視点は少し違うところにある。

 

例えば、日本の女性はメディアのいう『女性らしさ』に縛られている。ネットや街中の広告は脱毛やダイエットで溢れ、モテるモテないのハウツーのほか、女性は健気に家事をこなし、毎日メイクして綺麗でいなくちゃいけないとか、そういうことばかりだ。

でもそれ、誰が決めたの?誰のためにやってるの?本当にそれ、必要?

見た目にすごく気を使うわりに、どこか自分に自信がない人が多いのも特徴だと思う。それは主体性を持たずにただ流されているからではないだろうか。出る杭は打たれてしまうし、女性らしさからはみ出ないよう、必死なように見える。

 

フェミニズムは、実は男性の開放でもある。

女性に性を押し付けているように見せかけて、男性も引き換えに『男らしさ』に縛られている。人前で泣いては恥ずかしい、出世して稼がなければ、体を鍛えなければ、頼りになる男でいなければ、などなど。

2018年、日傘男子が少し話題になったのは、彼らが世間に期待される『男らしさ』を堂々と裏切ったからだ。

 

女らしさも男らしさも、メディア・広告により作り上げられた概念であり、本当はそんなものは存在しない。女でも男でもその他ジェンダーマイノリティでも、その人らしさを堂々と開放すること、そしてそのためにそれを受け入れ、開放しやすい環境をみんなで創り出すこと、それがフェミニズムである。

 

でも日本では、慣習に逆らって和を乱すことは、社会のはみ出ものになることだ。だから、自分が違和感を持ったり不快に感じたりしても、それで調和が乱されずに済むのなら、我慢して、笑って流していればいいと思ってしまう。

そもそも、海外ではセクハラ扱いとなり白い目でみられるようなことも、日本ではメディアで黙認されている。メディアで流れれば世間もそういう空気になるわけで、女性も感覚が麻痺してしまっているのだ。それで不快に思ったり怒ったり、違和感を持ったりすることを忘れてしまっているし、わたしもその一人だった。

 

まずわたしが考えるフェミニストとは、自分の気持ちを大事にできる人のことである。自分の気持ちを正直に受け止めるということはとても勇気がいることだけど、味方がいると分かるだけで心強い。自分に今までなかったような力が加わって、それが自信になるのだ。わたしは自信をつけることで感覚の麻痺は消えていったし、慣習に逆らうことの怖さよりも、身近なところから変わってほしいと思うようになった。

 

わたしがその自信を得はじめたのは、2014年、イギリス留学から帰ってきて、スラスラ英語が出て来るようになってからだった。社会人になり、外国人の友人もでき、なぜか英語だとためらいなく自分の意見が言えることが気持ちよかった(小耳に挟んだところ、外国語を話すときに人格が変わるという研究結果もあるらしい 笑)。

 

彼らは、幼い時からのディベートなんかで『他人と意見が違うこと』に慣れている。ことに外国人と日本人、違うことなんて数え切れないほどある(でも同じだと感じることも数知れず笑)。

相手と意見が違っても、それで友情や愛情が壊れることは、よっぽどでなければありえない。『わたしの意見』をそれとして尊重してくれる環境がそこにはあった。自分を受け入れてくれる寛容性の持つ力は絶大で、わたしはますます自分に自信をつけた。

 

そこでドイツに行ったので、わたしはすっかり自分の気持ちや意見を自分の言葉で伝えられるようになっていて、考えてみればわたしはフェミニストだなと思ったのだ。

 

まずは自分をありのまま受け入れる寛容性を持つことが、フェミニストの第一歩である。そして自分の個性を解放すると、不思議と他人にも寛容になる。それはその人の自信に繋がり、どんどん連鎖していくのだ。

これは何も大きなことを話しているのではなく、恋人や友人、家族の気持ちに寄り添うのは、本当に相手を想っていれば至極簡単で当たり前のことではないだろうか。実はあなたも自覚していなかっただけで、フェミニストかもしれない。

 

オノ・ヨーコ著『ただの私』に、こんな文章がある。お気に入りの箇所だ。

 

女の力というものは、結局、理屈をこねまわさず、自分の感覚や体に頼るということだ。体に頼るということは、包容することであり、許すということ。何かを認めるとか認めないとかいうことではなく、そのものを正直に愛してしまうことである。

 

もっと日本にも、フェミニストが増えるべきだと思う。自分を大事にしよう。そしてあなたの大事な人を大事にしよう。自分らしさを開放しよう。ハッピーに生きよう。

 

わたしはフェミニストです。あなたはどうですか?

こんにちは、しおりです。ヨーロッパが好きすぎて、新卒OLを2年で辞めドイツでフリーランス始めました。
主に翻訳(英⇄日)、ライター、ときどき写真も撮ります。食べることと音楽と映画と、とりあえず多趣味です。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA